最近自分が本当に大切にしたいものがわかって、なんか幸せです。
こんにちは、羽山香苗です🎀
「灯台下暗し」って言うのかな、
私が本当に大切にしたいものは、日常生活の中にあったんだな~。
だけど、「日常生活がなにより大事で幸せです!」って言っても
なんか嘘っぽいし、自慢できないって思っていたから認めてなかった!
そりゃ満たされないわけだ!
日常にある幸せを幸せと認めていなかった私
感謝ワークが自分でも驚くほど続いていて、本当に満たされることが増えてきました。
それで分かってきたこと。
理想の生活を思い描いてみると、結構今でも叶っているんですよ。
- 大切な家族と仲良く暮らすこと
- 豊かな食生活
- 落ち着ける大好きな家があること
- 表現ができること
旦那さんとの仲もなかなか良好です。
一緒に暮らしている猫も元気いっぱい。
私自身は稼いでないけど、お金にはそんな困っていない。
引っ越したい思いはあるけど、今の家は好き。
四季の食材を味わいたい、という食生活もできている。
私の日常生活は満たされている。
しかし!
この平凡な日常こそが幸せなんて、認めたくなかった!
なぜなら!
日常の幸せなんて簡単に手に入るし、誰でも持ってるじゃん!
そんなのつまらないし、人から見たってよくわからない。
自慢できないじゃん!
いや~、まじで自分の中からこれが出てきた時は、びっくり。
自慢?
「人に幸せ自慢するために」幸せになりたかったんかい!
平凡な日常が幸せなんて、地味だし、つまらないわ。
こんなとこにも人の目が入ってた。
平凡な日常に満足したら、なんかそこまでの人になっちゃいそうで・・・。
こうやって文字にすると、なんだそれ?って感じだけど
本当に思っていたんですよね。
私はもっとすごいんだから!こんな平凡な日常で満足しないわ!
ってな感じ。
「特別意識」も強かった私
カフェでのノートタイムは至福の時間。
私は本当、長い間虚像で生きてきた気がします。
できないこととか、ショボいこと、ダメな所とか全然認められなくてこう思ってた。
まあ、この「特別意識」は私の無価値観や劣等感から来ているわけですが。

特別意識って要は「承認欲求」なわけですよ。
誰が見てもわかる「すごいこと」が必要だった。
だから、人から見られるわけではない「日常生活」に重きを置いていなかったのです。
今だったら、SNSとかで日常生活でも人に見せて、自慢することはできるけどね。
とにかく誰が見てもわかる「幸せ像」が欲しかった。
少し前に浜崎あゆみのドラマあったじゃないですか。
あれからあゆの歌を結構聞いているんですが、
「appears」って歌にこんな歌詞がある。
恋人たちはとても幸せそうに手をつないで歩いているからね
まるで全てのことがうまくいってるかのように見えるよね
真実はふたりしか知らない
恋人がいること、仕事があること、稼いでいること
どれもそれがあるからって幸せとは限らない。
でも私の目には、やっぱりそう見えたんだよね。
何かを手に入れることが幸せだ、ってずっと思っていた。
独身の時は結婚さえできれば幸せになると思っていた。
結婚して最初の頃は、子供さえできれば幸せになると思っていた。
世間のいわゆる「幸せの形」を手に入れれば幸せなんだとずっとずっと思っていた。
目に見えるものしか見ていなかった
幸せは感じるものじゃんなく、何かを手に入れるとなるもんだと思っていた私。
さきこさんの考えを知ってから、それは変わっていきました。
私は長いこと、「私の幸せ=人から認められた量」だったんだな。
そして、人生ハードモードで刺激中毒な部分もあったから
簡単に手に入る、小さな幸せに満足したくなかった。
目の前にこんなにもたくさんの豊かさがあるのに、
そこは全部無視して、どこにもいない青い鳥を探していたんだな。
日常にある幸せの本質を、私はなんもわかっていなかった。
パートナーが元気なことも当たり前じゃない
何事もなく家に帰ってくることも
猫が元気でいることも
食べたいものが作れることも
食材を買うお金があることも
家があることも
どれもいっこも当たり前なことなんかじゃなかったんです。
身体の神秘を考えれば、私が元気に生きていることだって奇跡だった。
私は本当に何もわかっていなかった。
平凡と言われる日常生活が当たり前に続くことの幸せを、奇跡を!
目に見えるものしか見ていなかった。
感謝ワークをしたり、マジックのワークをしていると
今まで見えてこなかったことが本当に見えてきます。
感じられる、という方が正しいのかな。
その瞬間に外側の状況は何一つ変わっていなくても、
たくさんの豊かさや幸せを見つけられる。
本当にお勧めです!