やりたくないことはやらないようにしよう、って言っていたのに、意識すらしていないやりたくないことを発見しました。
こんにちは、羽山香苗です( ・∀・)ノ
私料理が好きだと思っていたのに、違ったことに気づきました。
好きだと思い込んでいて、疑うことさえしていなかった!
これこそ、思考停止・不感症。
嫌いだけでなく、好きさえも疑う。そこにギフトが隠れているのかもしれない。
そもそもあなたの好きは本当ですか?
Happyちゃんやはるちゃんが常々言っているように、自分の感覚を丁寧に拾うことを意識している私です。
少し前旦那さんとケンカして、1週間くらい実家に帰っていたんですね。
その間、料理は1回もしなかった。
働いていなくても、家だと家事とか猫の世話は私がしなくてはならない。
でも、実家だと家事も猫の世話もする必要なし!
何してたのかってほとんどはるちゃんのインスタライブ聞いてました。
でね!
帰る前日くらいにふと思ったの。
好きだったら、きっと実家でもするでしょ?
でも、しなかったんだな~。
ここで初めて疑った。
だって、実家だと母親が料理してくれるもん!
母は料理がうまいし、基本和食で、野菜が多め。私が食べたいものが多い。
自分が作るようなものを作ってくれる人がいるなら、わざわざ作らないよね!
美味しいものを作ってくれる人がいるなら、作らないよね!
いや~、私は料理好きだと信じて疑っていなかったけど、まさかビックリ。
好きなことでも無理してると嫌になる
正確には、料理は好きなんです。
やりたい時にやる分にはね!
毎日なんてやりたくない~。
今までも体が辛い時とか、疲れている時には料理はしていませんでした。
でももっと細かく見る必要があるんだなって今回痛感した。
「自炊が一番安く済むから、私が料理しないと」があった。
お金を私より上にして、奴隷として料理していた感じだー。
私、めっちゃ拝金主義だー(゚д゚)!
拝金主義とは金銭を無上のものとして崇拝すること。
出典:Wikipedia
自分の価値や自分の大切なエネルギーも軽んじていたから、こう考えているんですよね。
実際には自炊だって食材買ってお金かかっているのに、そこは無視して私が作るのが一番お金かからない!ってなってた。
作りたくないのに、作っていると料理自体が嫌になる。
そして、作りたくない時に作るのはほとんど旦那さんのごはんだから、旦那さんに対してもイラっとするんだよね。
「別に毎日手作りじゃなくて、惣菜とかでもいいからね~」って旦那さんは言ってくれていたのに、色んな理由つけてしていなかったのは、私なのに。
- 私が作ればいいんだから
- 惣菜ばっかじゃ体に悪いよ
- お金かけないで、愛情かけないと
色んな思考の声はあったのに、ちゃんと聞かなかったのは私。
食習慣は、家庭環境が影響する
人の食習慣って、育った家庭の食習慣に影響されませんか?
うちは、基本毎日母親が料理を作る家庭でした。
惣菜が出てくることなんてなかったし、外食もたまにしかしなかった。
「自炊が基本」の家庭でした。
だから、私の基本的価値観も「自炊が一番!」
だけど、今は色んな選択肢があるでしょ。
外食したり、惣菜を買うだけじゃない方法がこんなに!
- Uber Eats
を頼んだり
- オイシックスの献立キット
で調理するだけ
- 焼くだけでいいように味つけ済みの肉を冷凍
- 焼いたり揚げたりするだけでいい冷凍総菜を買っておく
毎日料理したくないけど、美味しいものが食べたい!って願いを認めないと、どうするかって方法は見つけられませんよね。
私はやっぱりおうちで食べるごはんが好きなので、色々試してみようと思います。
好きも嫌いも変わるから、疑ってみることが大切
結局私の場合、
「料理するの嫌だな、面倒だな」っていううっすらとしたサインは何度もあった。
生理中とか疲れているとか、はっきりとしたサインの時はくみとっていたけど、かすかなサインの時には聞いてあげてなかった。
はっきりとしたサインに対してくみとっていたから、より小さな違和感も感じられるようになったのかもしれない。
より細かく見ていく必要がある。
思考停止・不感症でいると、好きも嫌いも疑わないよね。
私はミルクティーが大好きなんですが、ある日何も考えずに作ってて、ふと思った。
で、作ってとりあえず一口飲んでみたんですよ。
そしたら、やっぱ違くて飲まずに他の物作ったよね。
結局気づかないと、変えようがないじゃないですか。
私はこの機会に、好きも嫌いも洗いざらい疑って見直してみようと思いましたね。
疑ってみたうえで、やってみて感じて、の繰り返しなんだろうな。
さいごに
いや~、自分的になんてことに気づいてしまったんだ、って思ったよね。
でもこれを旦那さんに言ったら、「え?そうだろうって思ってたけど」って。
なんだとーーーー!!!だったよね。
自分には認識できなくても、人にはわかることもあるんですね。