普通のことができない自分に劣等感を持つ必要はない!【自分らしさを大切にしよう】
みんなができる普通のことが、なんかできないんだよなって悩んでいたりしませんか
わたしはずっと「普通のことが普通にできない」劣等感を抱えていました。
社会になじめない「社会不適合者」だとずっと思っていた。
だけど、自分は人とちがうことを知り、受け入れ、その想いもなくなってきました。
- 「普通」というのは、多数派。日本には多数派を重んじる傾向がある。
- 「普通のことができない」という良さを消してしまわないで
結局、「普通」って数が多い方ってだけなんです。
数が多い方を勝手に「普通」と定義し、それに合わない人をおかしいと言う。
日本にはそんな風潮がありますよね。
そして、それは年々つよくなっているように感じる。
「普通のことができない」あなたが、普通に染まってしまったら、世界はどんどんつまらなくなる。
あなたらしさを消さないで
「普通のことができない」人は、後者や内向型かもしれません。
自分の性質を知ることは、ラクに生きるうえでとても大切なこと。
後者や内向型という性質についても後半で触れています。
- 内向型HSP
- 生きづらい過去あり
- スピリチュアル&宇宙理論好き
- 自分らしく生きる方法を模索中
*2021年5月の記事を加筆・修正して再アップ。
普通のことが普通にできない
- 「みんなが当たり前にできる普通のことができない」
こう思っている人は多いです。
日本の社会というのは、均一化された一律のものを求めるんです。
一般的な「普通」を求める。
その方が管理する人が管理しやすいでしょ。支配しやすいのさ。
そのレールにのれなかった、はずれた人たちが生きづらさを感じやすい。
だけど、絶対的な「普通」がないように、「普通」なんて勝手に作りあげられた虚像でしかないのです。
そもそも「普通」ってなんだ?
そもそも「普通」とは、多数派のことです。
結婚している人の方が多かったら、「結婚すること」が普通と思われやすい。
これって何にでも言えるんですが、日本は「その場の多数派が普通だよ」「少数派は空気が読めない、変な奴」みたいに捉える風潮がある。
多数派の俺、正義!
みたいに思っている人もいるしね。
- 周りと同じだと安心する
という傾向は日本人は本当〜〜〜に多い。
「普通」は多数派なんだから、普通だと安心するんです。
みんなと同じだと安心するんです。
そして、暗黙のうちに「普通に合わせろ!」的な同調圧力が生まれているのです。
みんなが普通だと、自分が安心するから?(だとしたら、超絶自己中だけどね)
これは「空気を読む」という言葉からもわかりますよね。
- その場の普通(多数派)を察しろよ、それに合わせろよ
「空気を読めよ」という言葉の意味は、こういうことですよね。
もしくは「その場の一番偉い人に忖度しろよ」というもの。
まじでくだらない・・・
▼ 空気を読むのは本当にくだらないです。下記の記事で解説しています♪
→ 「空気を読むべき」なんてくだらない!【空気を読む人はどんどん空気になる】
わたしは、普通の人生を歩むんだと思っていた
みんな子供の時って、自分は普通のことをして普通の人生を歩んでいくもんだと思っていますよね。
- 高校を卒業したら
- 大学に入って
- どこかの企業に就職して
- 適齢期で結婚して子供を産んで・・・みたいに。
でも、わたしは大学に行かなかったので、そこから「普通じゃないのかも」と思い始めました。
高校の卒業式で思ったことをいまでも深く覚えています。
わたしの人生、終わった。
大学とか短大、専門学校に行かなかったことで、普通のレールからはずれてしまった、って思ったんです。
高校の時、仲良かったグループの中で進学しなかったのはわたしだけだったしね。
でも、いま思うと早くにレールからはずれておいて良かったです。
自分の人生について早くから考えることができたからね
「人に合わせることができない」と、普通のことはできない
普通のことがすんなりできる人というのは
- 人に合わせることができる
- 我慢ができる
これらのことができる人が、「普通」に当てはまりやすい。
「我慢ができる」という時点で、外向型のほうが普通のことはできます。
だから、「普通のことができない」っていうのは、ダメなことじゃないんです。
あなたにしかできないことがあるんだから。
みんなが「普通」だったら、この世界まじでつまらないですよ!
つまらないし、経済は発展しないし、豊かにもならない。
なんの個性もない「普通の人」なんて面白くないでしょ。
そう!普通って個性がないことなんですよ。
普通のことができない人は、個性のある人や!
普通の人が思いつかないようなことを、「普通のことができない」人は思いついたりすんだから!
だから、周りの人と比べて「できる・できない」を気にする必要なんて全然ない。
人にも組織にも合わせなくたっていい!
結局、日本は少数派の人は生きにくく、居心地のわるさを感じやすい社会なんです。
日本って
- 「何事も目立たず、周りと同じことをせねば」
という圧力が強いですからね。
でも、少数派が多数派の色に染まったら、多様性はなくなり、人は弱くなり、経済も発展しない。
「普通のことが普通にできない」人には、その人の良さがあるんです。
それを消してしまわないで
「普通のこと」を我慢して、無理してやる必要なんてないんです。
「自分らしさ」を大切にしてほしい。
普通のことができない人は、後者や内向型かもしれない
普通のことができない、周りと同じようにできない人は後者や内向型の可能性があります。
自分の性質を知って、ぜひ「普通になろうとする」のをやめて自分の個性を活かす方向にいってほしいです。
わたしを救ってくれた「前者・後者論」
人間は、「脳や意識の仕組み」において2種類に分けられるんです。
- 客観的で空気を読む計算上手な「前者」
- 自然体でストレートな集中型の「後者」
いまの日本の社会は、「前者」を求めます。
前者は比較的個人よりも「その集団にとって何がいいか」を考えます。
輪を乱さずに、普通のことを普通にこなすのは前者の人の方が得意です。
後者のひとは
- 多数派とか関係なく嫌なものは嫌
- みんながしていても、自分はできない
こういった性質が前者よりも強いのです。
みんなが普通にしていることが自分にはできないんだよなって思う方は、ぜひこの「前者・後者論」を知ってほしい。
この本も「前者・後者」のことがめっちゃわかります
内向型はそもそも組織に適合しにくい
「普通のことができない」と感じている人は、内向型の可能性もあるでしょう。
内向型というのは、刺激に敏感で、よく考える傾向にあります。
「やれと言われたからやる」みたいなことは苦痛以外のなにものでもない。
社会において「普通のこと」というのは、多かれ少なかれ我慢比べの側面があります。
内向型にとって我慢比べは、苦しみでしかありません
内向型の人は、できないことに悩み苦しむのではなく、自分ができること、ラクでいられる場所を模索しましょう。
仕事において普通のことができなくて悩む内向型の人は、職場を変える勇気をもってほしい!
関連記事 【内向型】仕事を辞めたいと思うのは、自分のことを知らないから【あなたは無能ではない】
普通のことができないことは障害でも何でもない
あと一つ言っておきたいことがあります。
「普通のことができない」などで検索すると発達障害などそれ関係ばかりが出てきます。
自分は一般的な人と違う性質なのかもしれない、って思うのはいいけど、安易に発達障害だって決めつけないでほしい。
- 前者からみた後者の理解できない性質
- 外向型からみた内向型の理解できない性質
これらを勝手に障害だって決めつけているかもしれないでしょ?
「前者と後者」も「外向型と内向型」も、役割や性質の違いだけでそこに優劣なんてないんです。
普通にとらわれず、性質の違いやできないことを受け入れてくれる人間関係や職場を選ぶ方がずっとラクに生きられます。
普通のことができない、と悩む人は自分に合った環境を「自分のために」整えることも考えてくださいね。
まとめ
普通なんて「ただの多数派」
ただ、最近では「普通に対する同調圧力」も強くなっているように感じます。
普通を目指すというのは、もはや「ラットレース」
そこに出口も解決策もありません。
だから、早めにそのレースから抜け出ることをおすすめします。
そのためには
普通のことができない自分を受け入れましょう!
内向型かもしれない人におすすめの記事
外向型と内向型は、前者・後者のようにパッキリわかれるものではありません。
内向性が強いほど、社会における「普通」は苦手です。
内向型の人におすすめな記事も参考にしてね♪
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