心理カウンセラーの心屋仁之助さん(以下、仁さん)をご存じですか?
▶︎▶︎▶︎心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」
私は4~5年くらい前?に知ってから、たまにブログをじっくり読んだり、本も何冊か買ったり、講演会にも行ったことがあります。
とっても素敵でダンディなおじさまです。
その仁さんが2015年の終わりあたりからかな?、周りを騒がせた「前者・後者」論があるのですが、それを読んで救われた後者の私のお話しです。
私のように救われる後者の方がいたらいいな。
「前者・後者」とは
もともとは、仁さんがブログのこの記事の中で便宜上使った言葉が、そのまま「前者・後者」になったんです。
▶︎▶︎▶︎【永久保存版】大人になりたくてなれなかったひと、大人になりたくてなれてしまったひと
大人になりたくてなれてしまった人が、「前者」
大人になりたくてなれなかった人が、「後者」
- 空気が読める
- 理解、理論、表現、処理能力が比較的高い
- マルチタイプ
- 理論や、理屈、細かいディテールにこだわる
- まったくフリーズなんてしない
- 相手を傷つけないように直球ではなく、ゆるい変化球を、投げる生き物
- 天然、癒し系
- 言葉をストレートに受ける
- 集中タイプ
- 全体図、なんとなくを理解する生きもの
- すぐに混乱し、フリーズするメモリーの少ない、処理能力が低い
- 変化球を投げられないし取れない生き物
【引用】【永久保存版】前者・後者、完結編
【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ?
この「前者・後者」というものは、1人の人にどちらもあるわけではありません。
必ずどちらかです。
パソコンのOSで、WindowsとMacは共存できないでしょ?
前者的な部分があり、後者的な部分がある、ではない。
この時は前者、あの時は後者、ではありません。
必ずどちらか、だそうです。
変化するものではない。
ただ、社会や親の影響などで前者アプリを搭載していて前者っぽく見える後者さん、はいるでしょうね。
逆に前者は、後者アプリとの互換性がないためつめないそうですよ。
でも前者でも、後者よりの前者というものがあり、それは「水平前者」と言われ、対して前者らしい前者は「俯瞰前者」と呼ばれるそうな。
「前者・後者」を見分ける方法は?
「前者・後者」を見分ける方法は、ただ一つ。
人の話を聞いていて、頭がシャットダウンするか?
これ一点のみ。
- 怒られたり、失敗したり、あせるとすぐにパニックになる
- 難しい話や論理的な話をされると、心の中でシャッターがおりてしまう
- 思考がすぐにどこかに飛んでいってしまう
これらの問いに一つでもYESがあれば、後者。
私は後者なので、
「シャットダウンする」「シャッターが下りる」
感覚はすごくよく分かります。
この時のポイントは、
シャッターがおりてしまうこと。
意識的におろすのではなく、おりてしまうこと。
いつシャッターがおりたかなんて分かりません。
でも、シャッターがおりてしまうと、目の前の人が何を話しても頭に入ってきません。
何も感じず、
「早く終わんねえかな~(・ω・)ノ」
くらいにしか思っていません。
目の前の人は見ているし、話も聞いているけど、話は素通り。
右から左。
相手が誰であっても!
何言っているのか、分からない人は恐らく前者なんじゃないかな。
なぜシャッターがおりてしまうのか【私の場合】
ここまで書いていて、シャッターがおりてしまうのは自動的にしても、何かきっかけがあるんだなと思いました。
- 責められていると感じた時
- 否定されていると感じた時
この2つのどちらかでも、両方でも感じるとシャッターがおりてしまう気がします。
シャッターがおりるのは、これ以上傷つかないための自分を守る反応。
シャッターがおりた後は、なんだか自分がすごく小さくなったような気がする。
無力になったような気がする。
「前者・後者」論で私が救われたポイント
後者なのに、前者になろうとしたから苦しかった
私は圧倒的に後者です。
1ミリの迷いもなかったくらい。
今の世の中は、「前者」を求めています。
「ちゃんと」「できる」「空気を読んで」「人の気持ちを考えて」
「普通は」「常識的に」
ちゃんとできることが素晴らしくて、それを目指していたから私は生き辛かった。
みんなと同じようにできない。
普通にできない。
私は
「できる・できない」にすごくこだわってました!
できることがすごくて、できないことはすごくない。
できることが優で、できないことが劣ってる。
しかし、なんと⁉
「できる・できない」にこだわるのは後者特有の思い込みだそう❗
まじか!( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
でね!
できないことには目を向けるくせに、自分のできることには目を向けないんですよ。
ベースが「今のままではダメ」なので、私ができることはすごくないんです!
「こんな私ができるんだから」
後者は「ない」や「できない」にばかりフォーカスしているから、本当辛いんです。

普通にできない劣等感が、私を苦しめていた
前者のようになろう、なろうとしていた私。
できるようになろう、なろうとしていた私。
でも、できなかった。
だから、せめてそれがバレてはいけない!
できない自分がバレないように、できる風を装わねば!
前者っぽくいることにエネルギーを使っていたので、すごい疲れるんですよね。
たいしたことしてなくても!
ベースが「今のままでダメ」なうえに、負けず嫌いが重なって、めっちゃ努力して何かを得たり、何かに成ったことはあります。
けど、それは
強い劣等感を埋めるべく、優越感を得たかった願い
だから、そこに満足感はない。
手に入れた感謝もない。
とにかく劣等感を埋めたくて埋めたくて仕方なかった。
けど、劣等感なんて埋める必要がなかった。
というか、できないままで良かった。
頼れば良かった。
助けを求めれば良かった。
できないままで、愛されていた事実もあるのに、「できる」ばかりにこだわっていた。
後者による後者の説明でさらに楽になる
仁さんの説明でも結構楽になった私。
しかし、最近旦那さんの仕事がうまくいかず、お金に余裕がなくふさぎこんでいました。
そんな時に「後者らしく」を思い出し、検索して見つけたある人のブログ。
仁さんは前者なんです。
だから、丁寧に説明してくれても後者の私には、いまいち頭に入ってこないことがあって。
このゆきさんは、心屋認定カウンセラーの方で、後者です。
後者の人が書いてくれているから、すっごい分かりやすくて私にもすいすい入ってきます。
私が響いた部分はこちら。
もう誰にも勝つ必要なくて、もう何も足す必要ない
できなかったことは「あなたには今、それは必要ない」ってこと
足すことをあきらめて、全部手放した時、今の自分のままで安心できる
ようになった時、夢は全て叶うようになる今のままで、先に安心しちゃおう
さいごに
今まで生き辛かった私が、楽になれたのは、色んな人のおかげです。
でも、仁さんの「前者・後者」論により、自分が後者だって分かり、
違って良かったんだ、って気づけた。
それによってだいぶ楽になったので、誰かの参考になればと思いました。
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